4.主の祈り

イエスは言われます。だから、こう祈りなさい。この主の祈りに、私たちは祈りの目的を発見することが出来ます。

 「天にいます私たちの父よ。」

 まず、「私たちの父よ。」という呼びかけから始まっています。神を父と呼ぶことのできる、深い信頼関係によって祈りを始めます。この信頼関係がなければ、祈りをしても無意味です。神が愛する父であるという認識を持って、祈ります。

 「御名があがめられますように。」

 この祈りは、礼拝です。礼拝とは、神の高い位やその偉大さを認めることです。旧約聖書では、「御名」は、神のご性質とほぼ同一に用いられます。したがって、「御名があがめられますように。」というのは、神ご自身をあがめているのと、ほとんど同じであると考えてよいでしょう。

 「御国が来ますように。」

 これは、この地で神の国が確立されることへの祈りです。私たちの住んでいる地は、以前として悪魔の支配下にあります。イエスの十字架と復活によって、悪魔の敗北が定められましたが、まだ、この地は神のものとなっていません。それゆえ、国も、社会も、法律も、教育も、そしてそれを造り上げた人間たちが、キリストを認めず、神に反抗しています。しかし、キリストが再び来られるときに、これらすべてのものがキリストに従うのです。ダニエル書7章13節には、こう書かれています。「見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」ですから、キリストを無視する傾向がますます強まっている世の中に住んでいて、「御国が来ますように。」という祈りは、ますます切実になってきます。

 「みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。」

 私たちが最も効果的な祈りをするなら、この祈りがそれでしょう。なぜなら、私たちのお願いではなくて、神のみこころが実現することを祈っているからです。神は、私たちにすばらしい御計画を持っておられます。その計画は「わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのもものだ。」とエレミヤは言っています(29:11)。けれどもまた、「私の思いは、あなたがたの思いと異なる、私の道は、あなたがたの道と異なるからだ。・・・天が地より高いように、わたしの道はあなたがたの道よりも高く、私の思いは、あなたがたの思いより高い。(イザヤ56:8.9)」と神は言われます。したがって、神の御計画はあまりにすばらしいので、私たちは理解できないのです。ですから、時に、私たちに理解できないことが起こります。「神様、何で!」とききたくなるようなことが起こります。その不条理に思えるようなことをもっとも辛い形で経験された方はイエスなのです。十字架につけられる前に、こう言われました。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。(マタイ26:39)」罪のない神の御子が、死刑台につけられるほどむごいことはありませんでしたが、神の御計画は、イエスによってすべての人に救いを提供し、イエスご自身がすべてのものの上に引き上げられる事でした。したがって、「みこころがおこなわれますように」という祈りは、私たちのできる最善の祈りなのです。

 「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」

 ここから、個人の必要のためにお祈りが始まります。私たちはこれを一番先に祈りにもってきますが、主の祈りでは5番目です。ここでは、物質的な必要のために祈っています。ピリピ書によると、神は、「キリスト・イエスにある義ご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。(4:19)」と言われました。ですから、なんでも必要があれば、神に祈りましょう。

 「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」

 物質的な必要だけでなく、霊的な必要もいのらなければなりません。神から罪の赦しを得ることは、私たちの霊的生活のために非常に大切な事です。

 「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」

 これは、私たちが今の悪の世界そのものからすくいだされるように願っている祈りです。ロトは、ソドムとゴモラに住んでいた時、その好色と、不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていました。けれども、神は御使いを遣わし、ロトをその誘惑から救い出されて、ソドムとゴモラを滅ぼされたのです。(2ペテロ2:7-)。神は、同じように、この地にご自分の御怒りを下されます。その前に、神はキリストによって正しくされた者たちを救い出されます。パウロは、「やがてくる御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになった(1テサロニケ1:10)」とのべています。

 「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。」

 これは、頌栄です。主の祈りは、礼拝に始まり頌栄で終わりました。つまり祈りは、神を神として認めることが中心になっています。


Rejoice Community Church

リジョイスコミュニティーチャーチ   牧師:松本和人     沖縄北中城村にあるプロテスタントの単立キリスト教会です。 教会の建物を持たずに家庭礼拝を行っています。 ※現在はリモートで礼拝を行っています。